旅
最近買ったCDを、もう、そればかり聴いている。
よく、言うじゃないですか、
「昔は1枚のLPをすりきれるぐらい聴き込んだものだ」とか。
今まさにそれ。そんな感じ(いま青春真っ盛り、なんかな?)。
発端は、高円寺のインディーズ音楽屋『円盤』店主、田口史人さんの
『円盤タグチの二○一二年一月のニッキ』を読んだこと。
今年に入ってから、ニヒル牛で売る分だけ少量生産されている日記である。
その中に、とても気になることが書いてあった。80年代初頭に
すきすきスウィッチというバンドをやっていた佐藤幸雄という人が
長い間ぷっつりと人前から姿を消していたのに、
去年秋に20年ぶりに田口さんたちの前に姿を現して
バンドを始める、と宣言したという。
でも、始める、と言っても。
佐藤さんは約20年間ギターを持つこともしていなかったので、
これから毎月、円盤店内で公開練習をやらせてくれ、と田口さんに言ったそうだ。
で、公開練習が去年11月から行われているらしい。
公開練習の様子について、タグチニッキから引いてみよう。
〈これが本当に面白くて、音楽をどうやって立ち上げていくかのドキュメントのよう。
何かを人前でやろうと考えている人、やっている人にぜひ見てほしい〉
〈僕には前半の一人で、そのなんとも所在の難しい現場の中で
「練習」する佐藤さんの姿こそ、もう最高にグッとくる「ライヴ」で、
こんなことが真摯にできる人絶対いないと思います。
こんなシチュエーションだったら、
絶対みな、その状況からの逃げ方を見せるでしょう。
物事に正面からぶつかって自身の目論みすら揺るがす、っていう、
これも佐藤さん自身の言葉。完全に実践してます〉
引用したのは一月二十九日の日記で、この日だけで
田口さんは40字×76行も日記を書いている。
すきすきスウィッチは大昔にライヴを見たことがある。
でもよくは知らなかった。田口さんの日記の言葉の力に押されて、
すきすきスウィッチのCDを買ってみた。
届いたアルバムを開くと、内側に若かりし頃の佐藤さんとおぼしき人物の写真があった。
それを見ただけで、あっ、と直感が先走った。
あっ、このひとは……と思った。
いまどきの言葉でしか、そのニュアンスは伝えられない。
あ、このひとはやばい、と思ったのだ。
なんだろう、全身から漂う、ゆとりのなさ、余裕のなさ。
必死さ。懸命さ。言葉がからだの中をうねっている感じ。
音を聴いて、見た目はなんて、そのひとをよく表すのだろうと思った。
明るくのびやかな声で、彼は歌う。
ポップな曲を、ひらがなの反復の多い、こんな歌を歌う。
ぼくときみと、ぼくときみと、ぼくときみと、むすぶ水道管
ぼくときみと、ぼくときみと、ぼくときみと、むすぶ水道管
スイドウカーンと発せられる言葉は
なにか新しいコミュニケーションツールのような印象。
音楽の中の詩は、言葉本来の意味ではなく、音とまじり合うことで
話し言葉とも、書き言葉とも別の、あたらしい皮膚感覚みたいなものをつくりだす。
だから、こうして歌詞を文字に書き写すことには、実はあまり意味がないのだけれど。
でも音は文字で伝えられないから、
すきすきスウィッチのアルバムのタイトル曲でもある
『忘れてもいいよ』を聞き書きしてみる。
とても大事なときにきみはいなかったね
思うとか思わないとかでなく
とても大事なときにきみはいなかったね
わかるとかわからないとかでなく
とても大事なときにきみはいなかったね
そんな大事なことをきみ言わなかったね
そんなことではなく、ただ
とても大事なときにきみはいなかったね
とても大事なときにきみはいなかったね
届くとか届かないとかでなく
会えばすぐにわかるのにきみは来なかったね
守るとか守らないとかでなく
そんなやりかたなのにきみ直さなかったね
そんなやりかたなのにきみ気づかなかったね
そんなやりくちなのをきみ忘れちゃったね
そんなため息ばかりきみ譲らなかったね
そんなことではなく、ただ
とても大事なときにきみはいなかったね
わ・す・れ・て・も、いいよ
わ・す・れ・て・も、いいよ
わ・す・れ・て・も、いいよ
わ・す・れ・て・も、いいよ
まるで大きく開いた窓の光みたいだったね
風が言葉のように通り過ぎていった
窓枠にあごをのせて二階から見下ろしているから
まるで首だけがそこに転がっているようだった
そんな大事なときにきみはいなかったね
そんな大事なときにきみはいなかったね
そんなことではなく、ただ
とても大事なときにきみはいなかったね
だけどいまは
このアルバムは、もともとは、ライブハウスの客席でカセットテープで
録音されたような演奏ばかりを集めたソノシート5枚組。
それが2枚組のCDにうつされている。
聴いても聴いても聴いても飽きない、有機的な音の集まり。
祖父江慎によるデザインワークも圧倒される迫力だし、
すべてを記さない穴あきの歌詞カード(それを真似て
わたしも『忘れてもいいよ』の聴き取れないところを穴あきにした)も
佐藤幸雄自身によるすきすきスウィッチというバンドの説明も
曲の説明も、ライブ記録も、どれをとっても、
最近のCDにはない充実感にみなぎっている。
どこか突き放し、冷めているけれど、過剰な熱量がみなぎっている。
アルバムのブックレットに佐藤幸雄は書いている。
〈聴いたことがある人、もっと少ない見たことがある人、
そこに残っている印象というものがあるのだとすると、
それはバンドそのものにではなく、
聴いたあなたの中にそれがあったということなのだ〉
円盤で行われる、次回の佐藤幸雄公開練習には行くつもり。
音楽を道しるべに、またひとつの旅が始まったのかもしれない。
自分の中のどこかを訪れる旅。
- 2012.02.27 Monday
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- by acocoro