すきまの2

 今生日記konjyo nikki  ーすきまの2

鳥渡(と書いてチョット、と当て字で読ませるらしいですよ)

という名の高円寺のバーから、つい先日に届いた封筒。

中には店が出している『千鳥文(ちどりぶみ)』という月刊の刷り物が幾号かと、

写真ギャラリーでもある鳥渡の今月の展示案内が入っていた。

こういう封書は嬉しい。読む物をたくさんもらう嬉しさもだけれど

郵便受けにぽとりと落とされた封筒に対しては、

メールや電話で「ありがとう」をすぐに言わなくてもいいから。




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「ありがとう」と言えば、そこで終わってしまう。

「ありがとう」をすぐに言わず(言えず)に、そのうちに言おう、と思っていると、

嬉しさは長続きする。そんなあたりまえのことに気づかされた。

いつかの夜にまた鳥渡にぶらっと呑みに行って、思い出したように店主の広瀬くんに

「あ、そういえばありがとね」とか言うのだ。

無口な彼は氷を丸くピックで削る手を止めて、「え?」と顔を上げ、

「ああ」と言って、すぐにまた視線を下に落とすだろう。




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なんていうふうに、時間のすきまを持てるのっていいですね。

即レス必須の世の中においては尚更。どこぞのモガ嬢ではないけれど、

大正時代ぐらいの時間の流れで生きてみないか、俺とおまえ。ってな気分。




三月に入ったので、ニヒル牛に納品された

円盤店主による『円盤タグチの二○一二年二月のニッキ』を読んで。

ウェブ上でこうして(←今生日記)ダラダラと文字を書き連ねるのって

どーなんだろ、と思ってしまった。ウェブだと、なんだか一方的で、

読んでくれるひとに言葉をちゃんと渡している感覚が希薄だから。




その点、『タグチニッキ』も『千鳥文』も、実際モノとして

わたしの近くに存在している。その体積の重量の確かさ、みたいなものって、

送り手側の覚悟のような気がする。

田口さんはこのニッキに根性入れてる(いつだって彼はそうなのだろうけど)。

ウェブのような平べったい(のはわたしがMacBookAirを使っているからだ)

ところには根性の入れようがないではないか。

そもそもココには、逃げ込める暗闇もすきまもないじゃないですか。




ところで、先週、“すきま”のつづきに書こうと思っていたのは

R.M.SHINDLER(シンドラー)という建築家のことだ。

シンドラーを特集した『建築文化』は1999年9月号、2900円。

当時に買った雑誌だから、つまり13年前、か……。

つい最近、雑誌の一番うしろに掲載されている隈研吾が

シンドラーについて書いた文章を初めて読んだ。ぱらぱらとめくって、

『民主主義という幻想』というタイトルが気になったのだ。

〈シンドラーは、失敗した建築家である。彼はさまざまに、そしてたびたび失敗した〉

と、いきなり書きだしがこうですよ。どんなひとだか知らなかったのだけれど、

わたしの好きな建築家は失敗者らしい。




建築家が書く建築家についての文章は、ちょっとわかりにくいところもあるのだけれど。

へえーと思ったのは、20世紀は建築においても民主化の進んだ時代で、

〈権力を表象することが目的だった建築にかわって、使いやすさを優先した建築〉

への転換期であったということ。そーなんか。建築って権力の象徴だったのか。




で、建築の民主化とは何ぞや、と言えば……

〈空間という概念も、同様に、建築の民主化における重要な概念であった。

実体と実体との間に存在する空隙の部分が空間と呼ばれ、

注目されはじめたのは、19世紀である〉なんて書かれている。




実体と実体との間に存在する空隙の部分が空間? 

それって、すきまのことじゃんねぇ。

この『建築文化』の隈研吾の文章は、原発疎開問題やら、

すきすきスウィッチのことやらで

あたまの中がすきまでいっぱいになっていたときにこれ読んだものだから

なんというかシンクロニティ!




隈研吾の文章は終始わかりにくいのだけれど、

結局のところ、建築の民主化は失敗に終わったらしい。

建築物って、写真とかのメディア(二次元ビジュアル化)ばえしないと

なかなか評価されにくいのだというようなことが書いてあった。

で、空間=すきまは写真に写りにくいから、やっぱりどうしても

バーンとダイナミックな造りの建築物に二次元ビジュアル世界で負けてしまう。

それが、建築の民主化失敗の原因みたいなことが書いてあった。

隈研吾の言うことが本当だとすると、

建築って世界も(アタマ良さそな顔して)表層的な権威主義なんだな。




フランク・ロイド・ライト(←帝国ホテル建築等で有名)も

一時は民主的建築方面へ触手を伸ばし、活動の拠点を東海岸から

民主的地方であるアメリカ西海岸へ移していた。

でも(別方面から聞いた話だけど、ライトはがめつい男だったようだ)

民主的方向は早々にやめにして、西海岸を去ったという。

しかしライトの弟子であるシンドラーだけは西海岸にとどまった。

その地で、空間=すきまを作る仕事を続けた。




〈シンドラーは20世紀を生きる建築家としては、

ナイーブすぎたのかもしれない。

彼はほとんどメディアとは無関係に、建築をつくり続けた〉

〈そのシンドラーを支えたのは、西海岸という特殊な場所であった〉

〈(前略)西海岸では人も物もすべてが低密であった。

すべての個人が自由に振る舞いながら、しかもそこに、

おのずから調和が生じるという予定調和的幻想を与えるやさしい密度が、

その地には存在していた〉



〈人も物もすべてが低密〉の、テイミツっていう、

あんまり使わない言葉がなんかいいな、と思った。

なんか、すきますきましていていいな、と。

〈やさしい密度〉っていうのもいいな。

すきまが宿るすきまがありそうな密度で。




わたしがいま住んでいるここも、

西海岸(とくに好きなのはサンフランシスコ!)も

ある意味で“村”なのだ。どんな“村”かということは、

二月のタグチニッキにぴったしのことが書いてある。

せっかく紙に書かれた日記を、

ウェブ上に引用するのは掟破りな気もするけれど。

すみません田口さん、使わせてー。




〈それぞれが個人として独立できているからこそ共棲できる。

勝手な個人が集まったこの村に僕も棲んでいる〉

〈別にお互い仲間であることを確認するような行為は必要ない。

どうせ同じ村に棲んでいるんだから〉




高円寺の円盤にしろ、バー鳥渡にしろ、西荻のニヒル牛にしろ、

気の合う仲間が集まるサロンではない。

ひとりでやってきて、ひとりで適当に遊んで、ひとりで帰っていく、

すきまのたまり場。

でもって、東京のここいらへん以外にも、すきまはあるかしら。

わたしやかれらの遊び場は。




日本に来たことはないようだけれど、

シンドラーの作る家は、まるで日本の昔の家みたいなのだ。

ソトとナカとの境目が曖昧で。

日本の家は木枠の障子を開け放つと、竹林からの風が通り抜ける。

シンドラーの家は木枠のガラス戸を開け放つと、ビーチからの風が通り抜ける。

余計な装飾は何もない。ただ、くるりと周囲を包むものがあり、

中はがらんとして、ひとのいる空間=すきまがあるだけだ。

周囲を包むものだって、開け放してしまえば、ないに等しい。

なにかに似ている?

そう、風呂敷みたい。



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白江亜古
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