予告

 今生日記konjyo nikki  ー予告


ああ、今週は時間はあるのに、まとまった文章が書けそうにない。まとまった文章、っていうのはわたしにとっては、短文にしろ散文にしろ何にしろ、ある種の物語のこと。物語を書くのが好きなんです。でも今週は、普通に説明するような文章しか書けそうにない(きもちがね、そーゆうときもある)。



いつも言っていることですが。音とか映像とか踊りとか絵とか味とか香りとか、せっかく言葉以外のものでなにかをあらわそうとしているのに、言葉を持ち出されると、わたしはうんざりするんだよなぁ。言葉でわからされることが、なにしろ好きじゃない。鈴木清順の『ツィゴイネルワイゼン』だったか、次の作品の『陽炎座』だったか忘れたんだけど、夢か現かわからぬ不思議なできごとに翻弄される主人公の男に向かって、映画の最後の最後におかっぱ頭の童女が「死んでいるのはもしかして、おじさんのほうかもしれなくてよ」みたいなことを言う。言うなよー、ってあれ観たとき、映画館の中で叫びそうになった。説明するなよー、って。がっかりだった。せっかく映像で物語ってきたのに、それはないだろ、って思った。



物語って、まほうなのよ。まほうっていうのは、人智を越えた力なの。言葉による説明は人智の最たるもの。言葉を使われたとたんに、まほうがとけちゃう。



音楽は、わたしはまほうであってほしい。音楽に、わたしはまほうを求めている(音楽だけじゃない。小説も映画もなんでもそう)。放り出されたいんだ、いつだって、どこか知らないところに。知らないところを見たいんだ。自分の中にあるしらないものを。だれかの中にある遙か遠くてちかいものを。ありえないけど、ある、ものを。見せる、感じさせる、味わわせる。音楽はそういうものであってほしい。



でも、世の中にはまほうじゃない小説や映画もあるように、音楽にまほうを求めない聴き方もあるのかな、って、円盤店主の田口さんというひとを観察して、ようやく最近わかってきた。


たとえば田口さんが「身銭を切って」夏と冬の年二回やる、大きなお祭り。そのお祭りには何回も行ったことがあるんだけど、あれって楽しみ方があるな、と思っていて。なんでもおもしろい、と思えば、あそこで行われることのすべてがおもしろくて楽しめる。でも、自分の好きな感じの音楽やパフォーマンスしか欲しくないと思って行くと、だいたいのものがつまんなかったりする。


田口さんは学生時代からずっと音楽と係わって生きてきたひとで、もちろんバカみたいに音楽が好きなわけだけれど、でも田口さんにとって音楽は、まほうじゃなく、ひと、なんじゃないかな。彼が音楽に求めるのはまほうじゃないから、説明を帯びた言葉と音楽が結びつくようなことも彼にはOK。


音楽=ひと、人間。田口さんはほどよい距離をたもちながらも、日本全国に行って、たくさんのひとと出会って、たくさんのひとを見て、そのひとがうたったり演奏したりするのを聴いている。歌や演奏だけをピックアップする、っていうことは彼はしないのだと思う。あくまでも、ひとがついてくる音楽を彼は円盤という場所で紹介している。そんな田口さんのことが好きだったり、そんな田口さんのことを面白いと思ったり、興味を持ったりする人間にとっては、円盤で扱う商品や行われるライヴや、祭りや映画祭なんかはすべておもしろい、楽しめること。でもそれと、音楽を聴くことは、必ずしも一致しない気がする。


ということが、わかっていればいいんだと思う。田口さんが伝えようとしているのは、こういう音楽もあるんだよ、こういう人間もいるんだよ、ということであって、この音楽がいいんだよ、このひとが最高なんだよ、っていうことじゃない。音楽の聴き方を教えているわけじゃない。彼は音楽の先生じゃないし、音楽評論をしているわけでもない。そのことが、わかっていればいいんだと思う。でも、田口さんがいいっていうから、きっといいんだ、と無条件に思う若い子たちもいるんじゃないかという気がする。そこで止まっちゃっている、その先を見聴きしようとしないひともいるんじゃないかしら。7月14日の円盤の夏祭りに行って、すごく盛況で、みんなが楽しんでいるように見えた中でわたしも楽しみながら、そんなことを感じていた。



円盤で知った音楽で、わたしにとってまほうだったものが3つある。ひとつはタバタミツルの演奏。ひとつは佐藤幸雄の演奏。ひとつはつい数日前に聴いた丸尾丸子の演奏。タバタミツルについては以前ここに書きました。佐藤幸雄についてはここのところずっと書いているし、これからもきっと書く。丸尾丸子については、何しろまだ聴いたばかりだから、もうちょっとよく知ってから、彼女についてはまとまったものを書きたい。いずれにしても、わたしが「書きたい」のは、そこにあるまほうについて、なのです。わたしにとって音楽は物語であり、まほう。示唆や道徳や哲学や煽動や、ましてやイデオロギーではない。


さて、来る8.12。高円寺・円盤で〈男〉とPさんと、いよいよ3人での初ライブがある。日曜日のお昼12時から。円盤の開店前のじかんという、それこそ、まほうのじかんに。彼らがはじめて3人で演奏をする。それはまったく新しいこころみだ。


〈男〉と彼がかつてやっていたバンドすきすきスウィッチに、『気がついて思い出して』という曲がある。気がついて、思い出して、という2センテンスを延々繰り返してうたっているだけの曲。これが、まほう、なのです。気がついて、思い出して、気がついて、思い出して、気がついて、思い出して、気がついて、思い出して…………とうたわれるのを聴いていると、なんともいえない気持ちになってくる。感動しちゃったりするんだよ。これだけの歌詞、これだけのメロディなのに。すごくおもしろい体験。不思議な、でも、なにか、なつかしくあたたかい気分にもなる。たった2センテンスなのに。あ、その曲をやるかどうかはわかりませんよ。でもいずれにしろ、なにかとてつもなくへんてこりんなことになるのは間違いない。ものすごく楽しみです。真夏の真昼間のまほうのじかん。



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白江亜古
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