なまえ

 今生日記konjyo nikki  ーなまえ

最初は多喜子だったそうだ。わたしにつけられそうになっていた名前。

(と、この話、ミニコミとか以前にやっていたブログとか

mixiに書いたことがあるから、知っているひとはすでに知っている話で恐縮です)

51年前、わたしがうまれる当時の父は小林多喜二に心酔していたそうで。

だから多喜子。

獄中で拷問死したプロレタリア文学作家の名前を

ほんのミーハー心の気分で長女につけることに、母は激しく反対した。




小学校低学年のとき、作文の宿題が出た。

自分の名前について辞書で漢字を調べたり、

親に意味を聞いたりして書いてくるように、と。

亜ーーー。古ーー−。辞書を繰ってみたけれど、

娘の名前に積極的に使いたいような意味のひとつも見つからない。

しかたなく、一週間のうちに数日しか家に帰ってこない

ヤクザな父をつかまえて尋ねたところ、

「響きが可愛いだろ。あっちゃんに将来、恋人ができたときに、

“あこ”って呼ばれたらいいな、と思ってな」と返ってきた答えがこれ。




「恋人だなんて、小学生がそんなこと作文に書いたらだめ」と母。

「じゃあ、なんて書いたらいいの?」

そう聞いたところで、母から気の利いたアイデアが出るはずがない。

しばし考え、わたしは書いた。

〈あこ、って、よんだときに音のひびきがかわいいから〉

文章でちょっぴり嘘をつくのが、当時から得意だったみたい。

写真は高円寺・円盤のソファに座る母(79歳)。




しかし、父の思惑のとおりに現実はいかなかった。

どうもわたしは偉そうだから、なかなか呼び捨てで名前を呼んでもらえない。

10年ぐらい付き合った男の子なんて、最後まで「白江さん」だったし。

わたしを知るひとのほとんどは、「亜古さん」と「さん」づけ。

「亜古ちゃん」と「ちゃん」づけで呼んでくれるのも……3〜4人の親友と、

3〜4人の年長の仕事相手と、あと知久くんと料理家のケンちゃんぐらい。

ましてや「亜古」と呼び捨てなのは、親族以外に2〜3人しか思い浮かばない。




「亜古のお父さんはそれこそ、デザインの本とかたくさん持ってるんじゃない?」

小学校高学年のときの担当の守野和子先生は、「亜古」呼びの希少なひとだった。

「ううん。本はたくさんあるけど、デザイン関係とか美術書は案外少なくて、

なんか、○○○○の本とかが多い」

「○○○○……」と小説家の名前を思わず自分も口に出して、

守野先生はちょっと嫌そうな顔をした。




中学生になって、児童文学に耽溺するあまりに、

大人の本へなかなか移行できなくて悩んでいたとき。

父の書棚からあれこれ引っ張り出して、読み漁ることをしていた。

その中で自分にとって唯一おもしろかったのが大江健三郎だったので、

以来、大江健三郎と『ロッキングオン』の岩谷宏の文章のみを熟読する

中学&高校時代を過ごすことになるのだけれど。

父の本棚にたくさん並んでいながらも、

なぜか引き出す気になれなかった○○○○の本。

やっぱ、子どもの目ながらも、なんだこの顔写真、かっこつけすぎじゃないの? 

と訝しく思ったからだろうし、彼の名前を聞いたときの守野先生の

軽蔑したような顔が印象的だったからだ。




○○○○は今、80代なのかしら。最近また人気がぶり返している。

老いとかについて書いているのかな。顔写真を見ると

若い頃とあまり印象が変わらない。

つい先日、初めて仕事で組んだカメラマンが言っていた。

「この間、○○○○さんを撮ったんだけど、

○○○○さんは写真写りにうるさいって聞いてたから

肖像写真をあれこれ見てどっちの角度でどういうアングルがいいのか、

すごく研究したんだよね。そしたら、一発でOKだったんだ」

そんなナルシストな小説家に憧れていたなんて、うちの父親はやっぱり

骨の髄までミーハーだったんだな。

写真は夏休みになって、なぜか毎日、うちのガレージのところに脱ぎ捨ててある隣の小五坊主の靴。



5〜6年前に舞台美術家の朝倉摂さんをインタビューした。

名詞を差し出すと「まあ、亜古さん! うちの娘と同じ名前」と摂さん。

摂さんのご主人の富沢さんも「おや、ほんとだ。うちの娘の名前は

お義父さんが、彫刻家の朝倉文夫がつけてくださったんですよ」。

「ああ、そうでしたか」とにこにこしながら

わたしは胸の中で合点がいった。「あ、そういうこと」と。




芸大を二浪の末に諦めて、武蔵美に入って中退して。

少しは美術心があったかもしれないが、大した才能もなく努力もせず。

当時はしりの広告畑へ行っても、オリジナルを生み出す力量なく、

ひとの真似ばっかりしていた父。

彼は娘の名前もパクッたのだ。




ミーハーな彼のこと、もちろん朝倉摂さんの活躍ぶりは知っていた。

芸大を受験したぐらいだから、摂さんの父上の彫刻家・朝倉文夫のことだって

(作品をよく知らなくても)リスペクトしていただろう。

わたしより3年早く、摂さんに女の子が生まれて、

彫刻家の祖父がその赤子に「亜古」と名づけたことも、

父はミーハーの引き出しの中にちゃんとしまっていたのだろう。




という、しょうもない由来まで含めて、

わたしは自分の名前を愛しております。んで、もうじき51歳。


コメント
亜子ちゃん。

亜子ちゃんらしく生きている様子に遭遇できて、嬉しく思います。

1980年代以来だね。ちえみでーす。
  • kobayashi Chiemi
  • 2012/08/23 6:02 PM
ひゃ====、元気???????!!!!!!!!!!!!! 何してるの? てゆうか、なんでここにたどり着いた? すっごい驚いてます。でもって、こばやしちえみ、なんだね名前(わたしも白江亜古だが)。あまりの懐かしさに気がおかしくなりそう。でも名前は亜古だよ、ちえみちゃん(←あいかわらずー)。
  • 亜古
  • 2012/08/23 9:07 PM
何で辿りついたかって〜。
逢った時にしか教えねーよォ〜ワイルドだろ〜!

「イエイ!イエーイって、言えー!」
LOVE♡Kiyoshiro♪
是非、逢おうじゃないか!話したいこと山ほどあるしね☆
  • kobayashi Chiemi
  • 2012/08/23 9:42 PM
管理者の承認待ちコメントです。
  • -
  • 2017/01/18 8:31 AM
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