まほうの10・Five Years(上)

 今生日記konjyo nikki  ーまほうの10・Five Years(上)


円盤の夏祭りにおける〈男〉とPさんのクライマックスは、5曲めの『Five Years』だった、とわたしは思う。ざわざわと胸さわぐ絶頂に、この曲があった。円盤の夏祭りだからこそ、演奏された曲。それを証拠に、一週間前のPOP鈴木祭りではやらなかった(もっともPOP鈴木祭りと円盤の夏祭りでは、1曲しか同じ曲はやらなかった。約20年ぶりのライヴだというのに、〈男〉はふたつのステージをまるで違う内容にした)。


『Five Years』あるいは『5年』という歌のことは、前にも書いたことがあるけれどhttp://acocoro.nihirugyubook.but.jp/?eid=120。ちゃんと、いちから、物語の中に記しておかなくちゃいけないな。だってそれこそ、まほうの粉をふりかけれた歌なのだから。1970年代にイギリスで生まれた歌が、どうして極東の島国で今、あたらしく生まれ変わって、うたわれているのか。それも2011年3月11日のあとに、数名の歌い手によって。そこにはやっぱり、ある種の〈まほうの力〉がはたらいているとしか思えない。


あれは3月の終わりだった? 考えてみればその頃のわたしは、まだ〈男〉に会ったこともなければ、姿を見たことも、実際の歌声を聴いたこともなかった。買ったばかりのすきすきスウィッチのCDを繰り返し、毎日毎日聴いていた。わたしがそんなふうになっているのを知って、ともだちが教えてくれた。たけヒーローという若いバンドマンのライヴに行ったら、『5年』という日本語の歌を演奏したのだけれど、それはかつて佐藤幸雄がうたっていたカバー曲らしいですよ、って。興味津々でわたしはともだちに尋ねた。元々はだれのカバー曲なの? 音楽収集家であるともだちは「そっちまで手を出すとキリがないから」という理由で洋楽をいっさい聴かないひとだ。だから、たけヒーロー本人に聞いてくれて、答えが返ってきた。DAVID BOWIEの『Five Years』だそうです、と。


ええーっ、そうなの!? ファイブイヤーズの『5年』なの!? 胸が高鳴った。ほんとうに!マークで、感嘆符で、高鳴った。なんと、ボウイーのファイブイヤーズ! それを〈男〉が、かつて日本語訳でうたっていたなんて! 毎日毎日取り憑かれたようにCDを聴いて、なんでこのひとはこんな歌をつくって、こんなふうに演奏して、こんなふうにうたっているのだろう……とずっと考えているすきすきスウィッチのヴォーカルの〈男〉が。わたしが中学、高校のときに歌詞カードを見なくても、そらでうたえるほど聴き込んだボウイーのあの曲を、日本語でうたっている! いったいどんな歌詞でうたっているんだろう? ものすごーーーーーーく胸が高鳴った。とびきり大きな感嘆符で、胸の中がいっぱいになった。


しかも、この情報にはおまけの物語がついていた。2011年3月11日の東日本大震災の直後に、たけヒーローが円盤(と続けて書くと、なんか怪獣モノみたいだけど)のライヴに出たとき、震災の影響で高円寺まで来られなかったバンドがあった。代わりのピンチヒッターとして、店主の田口さん(!)が、うたったのが『5年』だったというのだ。田口さんは、かつて〈男〉がうたうのを聴いて、自分もうたい始めたのだとか。いつもニコニコしている温和な田口さんが、喉を切り裂かんばかりの激しさでうたう『5年』を聴いて、たけヒーローが感動して自分もうたい始めた。「この歌を自分も大切にうたいつないでいきたい」と言って。そして、『Five Years』あるいは『5年』という歌は、〈男〉→田口さん→たけヒーローとうたい継がれていくことになったのだ。




元歌であるDAVID BOWIEの『Five Years』は、1972年に出たアルバム『ZIGGY STARDUST』の最初の曲。ものすごく有名で、有線とかでもよく流れているから、とくべつボウイー好きでなくても聴いたことがあるかもしれない。この時期のボウイーは表向きはギンギンのグラムロックのイメージだったけれど、彼の本質はボブ・ディランみたいなフォークシンガー(初期のアルバムにはアコギでうたう曲がある)。『Five Years』もフォークソングみたいに言葉の数が多く、朗々とうたい上げられるドラマティックな歌だ。


Pushing thru the market square,so many mothers sighing

News had just come over,we had five years left to cry in

駅前の商店街で、母親たちが声にならない悲鳴をあげていた

ニュースが流れたのだ、わたしたちにはあと5年しか残されていない、と


こんな歌いだしで、『Five Years』には、地球の命があと5年しかないと告げられたときの、絶望と、自分のまわりの世界へのいつくしみがうたわれている。大震災と、それが引き起こした原発の爆発から1年半がたった今でこそ、絶望が諦念に取り替わって、自分の内に住み着いてしまったようなわたしたちだけれど。震災直後のあの頃は、もっと感情のひとつひとつが大きくふくらんであらわになっていた。膿んだニキビのように外に出したいものや、触れられるとすぐに溢れだしそうなものを、誰もが抱えて生きていた。そんなときに、田口さんがこの歌をうたったのか……と思うと、それだけで何か、言いようのない気持ちになる。


そんなことを想っていたある日、思いがけず、〈男〉が初めて『Five Years』をうたったときの録音をわたしは聴くことができた。なぜそんな希有なことが起こりうるのかといえば、またしても、まほうが働いたから、としか言いようがないのだけれど。〈まほうの時間〉がひとたび始まると、“必要なもの”が自然と、まわりに集まってくる。欲しがる手など伸ばさなくても。向こうからやってくる。まったくふしぎなことだ。



それは三軒茶屋にあるフジヤマという、知る人ぞ知るレコード・CDショップの5周年イベントでの演奏だった。フジヤマは開店して30年ぐらいになる店だから、5周年ということは、もう25年ぐらい前の録音。なんてことはない。5周年だから5年ということで『Five Years』、そうひらめいて、〈男〉はこの歌をうたったらしい。地球が死につつあるという歌詞は、お祝いの席に決してふさわしいものではない。でも、その歌が、信じられないくらい透明で、湿度を寄せつけない乾いたきらめきの声でうたわれると、そして何より、ちゃんと伝わってくる日本語でうたわれると、『Five Years』という歌は絶望の歌でも、いつくしみの歌でもなく、〈男〉というちっぽけな人間のさけびのように聞こえた。


ひとりでは生きられないから、救いを求めるひとつのちいさなたましい。それが震えながら、そこに“いる”ことを知らせている。震えているたましいに気がついて、歌を聴く人間はたまらなくなる。せつなくなる。なんとかしなければ、と思う。救わなければ、近づいて抱きしめてあげなければ……。そんなふうに駆り立てられると同時に、歌を聴く人間は、震えているたましいは、実は自分自身であることに気づく。約25年前のフジヤマの5周年パーティの現場にいた田口さんは、〈男〉のうたうのを聴いていた。それで、この歌のことが彼の記憶のどこかに残った。それは〈男〉が、“自分”のことをうたっていたからではないだろうか。ふるえるちいさなたましいのことを。だから、自分もうたえる、うたおう、そう思って、田口さんは自分も『5年』をうたい始めたのではなかったか。


それから数年後に〈男〉が忽然と姿を消してからも、そうして歌だけは残ったのだ。



円盤店主の田口さんが、かつて自分がうたっていた歌をうたっていることを、去年11月から円盤で公開練習を始めた〈男〉が、その時点で知っていたのかどうかはわからない。たまたまなのか、なんらかの意図があってなのか、公開練習の第5回目に〈男〉は『Five Years』をうたった。たぶん20年以上ぶりにうたった。そしてそのあとで、日本語訳がどこから来たものであるかを、彼はわたしに教えてくれた。わたしが知りたがったから。“答え”を聞いたときには、わたしはもう、おどろかなかった。ああ、やっぱり……と自分の持っているカードとの符号を、あたりまえのように思っただけだ。


『Five Years』にはいろんな訳があると思うけど、“こんなにたくさんのひとが必要だと思ったことはない”という感じをきちんと落とし込んでいる訳詞は、岩谷宏が白眉で、ほかにはあまり見たことがないーー−。こんな言葉で〈男〉は教えてくれた。心の中でわたしはうなづいた。そう、やっぱりイワタニヒロシ……。そう、やっぱり、“こんなにたくさんのひとが必要だと思ったことはない”ということ……。『Five Years』は、わたしにとってもそういう歌だった。それしかなかった。愛しいものも、憎たらしいものも、美しいものも、醜悪なものも、自分にこんなにたくさんのひとが必要だと思ったことがない、って、そういうことをうたっている曲なんだって、岩谷宏の訳詞を読み、岩谷宏がボウイーやロックについて書く文章を読んで受け止めていた。中学生の頃から。ずっと。


尋ねることはしても、こういう“自分の話”を、〈男〉にじかに話したことはなかった。それでも『Five Years』の日本語訳について、わたしが並々ならぬ興味を持っていることがわかったのだろう。第6回目の公開練習のあとには、〈男〉は自分のリュックから1冊の本を取り出して見せてくれた。1977年にロッキングオン社から刊行された『岩谷宏のロック論集』。本を手に取る前から、わかっていた。その中に『Five Years』の訳詞が載っているのだ。


〈男〉から差し出された本を受け取ると、何もかもがなつかしかった。大類信による装丁も、紙の質感も、開いたページの文字の書体や、写真やイラストの配置もなつかしい。ああ、やっぱりこれね………という気持ちだけで、もう充分だった。『Five Years』の訳詞が載ったページを開いて、確認するまでもない。かつてわたしもこの本を持っていたのだから。15歳か16歳のときに、ロッキングオンに直に申し込む通販でこの本を買った〔書店に並ぶような本ではなかった)。買って熟読した。お守りのように通学鞄にもいつも忍ばせていて、休み時間にひとりで読んだ。クラスメートとは共有できない、ロックの時間。学校の勉強よりも、ともだちとのおしゃべりよりも大切な、唯一の自分の時間ーー。でも、不思議の国のアリスを例に出すまでもなく、女の子は次へと「急ぐ」のだ。いつだったか、「こういうものとも決別しなければいけない」と思い立った時期に、持っていた岩谷宏の本は全部、古本屋に売ってしまった。それからずいぶんたって(ほとぼりが醒めて?)、違う古本屋で見かけた数冊は買い直したのだけれど。『岩谷宏のロック論集』は残念ながら手元にない。だからなおさら、なつかしかった。文字を目で追うこともしたくないほど、存在じたいがなつかしい本だった。


「ありがとう」と言って、〈男〉に本を返したときだ。背表紙に貼られたステッカーが目に入ったらしく、山田正樹(彼もまた岩谷宏の読者だった)が、「え、佐藤、それ、わざわざ図書館から借りてきたの?」と驚きの声をあげた。すると〈男〉はふしぎなことを言ったのだ。「うん。もともとは俺の本なんだけどね。図書館に寄贈したんだよ。だからほら……」と言って彼が本のいちばん後ろを開くと、そこには確かに〈男〉の所有物だったことを思わせるシルシが残っている。それを見てわたしは、あぁ……と心の中でため息をついた。胸の中をぱちん、とはじかれたような感じだった。本がもう自分の手元にない、という点ではわたしと〈男〉は同じだけれど。わたしはとっくの昔に遠いどこかへ捨て去ってしまって、今の今まで忘れていた(あるいは忘れたふりをしていた)。一方、〈男〉はその本を、自分のそばに置かずとも、ずっと持っていたのだ。その本というか、その歌を。ーつづく



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白江亜古
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