インタビュウ2「西郊ロッヂング」

 今生日記konjyo nikki  ーインタビュウ2「西郊ロッヂング」

 カウンターだけの小さなバーをイメージしていたら、ゆったりとしたソ

ファ席も3つ4つある。黒を基調とした内装で、地下の穴蔵であることに

は間違いないけれど、ひとたび中に入ってしまえばわりと開放的な……風

紋はそんな店だった。

 営業前の客のいない空間で文壇バーらしさを感じるとしたら、カウンタ

ー横の壁に、木の本棚が埋め込まれていることぐらい。そこには風紋にゆ

かりある作家たちの、古めかしい初版が並んでいるのが遠目からでもわか

るのだが、燦然と輝く希少本というよりも、何度も引き抜かれ開かれた手

垢のついた書物ばかりである様子。

 林聖子さんはおっとりとした、静かな佇まいのひとだった。色白で、心

持ちふっくらとしていて、銀混じりの髪の耳元にシンプルなピアスをつけ、

飾り気のない黒の木綿のワンピースを着ている。若いころは背の高くスタ

イルのいい、クールビューティだったという面影を80歳を越えた今も失っ

ていない。その上さらに、年齢を重ねたからこその奧に秘めたるものを持

っていて、何かの拍子にパッと燃えることもあるような。つまり、そこは

かとない色気を同性にも感じさせるのだ。


「ええと、写真を何か……というお話だったので、夕べひっくり返して探

しまして。これを持ってきてみたんですけど」

 挨拶を交わすと林さんはすぐ、雑誌への掲載をお願いしていた、過去の

写真の数枚をテーブルの上に広げて見せた。

「なにせ戦前の写真なので、古びていますけど。このおかっぱ頭がわたし。

小学校3年生ぐらいのとき。母と、父方の祖母と。サナトリウムで。母が

サナトリウムに長いこと入院していたので」

 初めて打つタイプのように、ぽつりぽつりと出てくる言葉。薄茶色に霞

んだ写真の解説だ。人物の後ろにある建物の窓ガラスの木枠が、モノクロ

ームの写真でも白いペンキで塗られたものだとわかる。後方に見えるのは

白樺だろうか、頼りなげな林の雰囲気も、いかにもサナトリウムといった

風情。その療養施設の庭に、着物姿の祖母と母、聖子さんが立っている。

細面でさびしげな美人である母の秋田富子さんは、おかっぱ頭の娘の肩に

手をまわし、こちらをキッとした表情で見ている。

 もう1枚、「これは……」と指したのは大勢の男女の集合写真だった。

「これは、うちの父なんです。父が18、19の頃。で、こっちが大杉栄」

 大正の時代に開かれたアナキズムの講演会で撮られたもの、とか。

 写真に視線を落としたまま、次の言葉を待ったが、どうやらつづきは

いらしい。こちらが訊けば何かしら返ってくるだろうけれど、そんなふう

に写真について一問一答を続けていたら、時間があっという間に過ぎてし

まう。



 アナキストたちの若き日の勇姿に見入る格好で、わたしの頭は考える。

ぽつりぽつりと途切れがちな言葉ーー目の前にいる取材相手は、自分から

あれこれ話したいひとではないのかもしれない。あるいは、まだこちらを

警戒しているのか、あるいは人見知りなのか、あるいは(最悪の場合は)

最後まで心を開いてくれない人なのか……。


 質問を投げかけて訊くよりも、相手の中から自発的に沸いてくる言葉を

受けとめる、それがわたしのインタビュウのやり方だ。だから「話したい」

空気になんとか場を持っていかねば、と少しだけ焦った。それで、こんな

ときのためにというわけではないけれど、林さんの資料を読む中で自分に

も馴染みのある地名を二、三、胸に書きとめていた。そのことでまずは口

火を切ろうと思った。

 テーブルの上の写真から顔を上げて、わたしはおもむろに言う。

「西郊ロッヂング、お生まれになったのはあの辺りだったって」

「そうそうそう」

「わたし、住んでいるのが西荻窪なので、散歩しているときにたまたま西

郊ロッヂングを見つけて、なんてすてきな建物だろうと思ったんです」

 ほんとうだった。ある日、荻窪南口の裏通りを歩いていて、その建物に

に出くわしたときには、「なに、これ!」と胸が高鳴った。

 現実離れした淡い薔薇色のモルタル仕上げの壁に、緑青の銅板葺きの

ーム型屋根。建物の角の二階部分が未来派的な丸いラインになっていて、

そこに右から横書きで“グンヂッロ郊西”の小さな文字が浮かんでいる。規

則的に並ぶ窓ガラスは、トランプを上から二列に置いた形状の縦長。屋根

の上にパンタグラフをつければ、そのまま宙を走り出すボギー電車のよう

に見えなくもない。

 散歩から帰ってすぐに調べたところ、西郊ロッヂングは1938年築の建

物で、当時は高級下宿だったとか。その後、賃貸アパートだった時代を経

て、現在も旅館として経営を続けているらしい。

 林さんがほんの少しだけ、彼女のペースになって話しはじめる。

「わたしの生まれたのが笹塚病院で。のちにそのすぐ近くに西郊ロッヂン

グができたんですね。20代の初めの頃には、西郊ロッヂングに泊まったこ

ともありますよ。藤原審爾という作家が、あそこをお住まいにしてらした

の。藤原さんのところへ友だちと遊びに行くと、いろいろと呑みに行くと

ころへ連れて行ってもらって、それで帰れなくなって西郊ロッヂングに泊

めていただいたり。当時としてはめずらしい、旅館っていうんじゃなくて、

ホテルの旅館版というか、洋風で。板の間で、ベッドで。それであの、生

まれてすぐの頃は、あの先に住んでいたらしいですよ、母が言うには」


 林聖子さんが笹塚病院で生まれたのは、昭和3年(1928)3月16日。

お母さんの秋田富子が林倭衛と結婚したのは前年で、まだ草深い田舎だっ

た荻窪に新居があった。

 だがしかし、聖子さん誕生のときに父は不在だった。昭和3年1月に渡

仏し、国したのは翌年の3月。つまり、18歳で結婚するとすぐに子ども

を産んだ幼妻の富子さんは、新婚の1年あまりを夫に放っておかれ、ひと

りで過したことになる。実はそこにもひとつの“物語”が潜んでいること

を、聖子さんのエッセイを読んでわたしは知っていたけれど、その話を取

材相手切りすにはまだ早すぎた。



「聖子さんのお母さまは、もともとは絵を志していた方……」

「ええ。画家になりたかったらしいんです。岡山から上京して、東京の精

華女学校に入ったんですけれど、それと同時に木下孝則という画家の塾へ、

自分で調べて通いだして。どうやら絵の修業のほうが、東京に来た目的だ

ったみたい。それで木下画伯から、『これからはこの人に教わりなさい』

と紹介されたのが父だった」

 明治42年に岡山県津山に生まれた秋田富子は、感受性豊かな自立した

人で、早くから自分のたましいの置き場を模索していたようだ。

 津山の生家は屋号を淀永屋といって、鼈甲、珊瑚、翡翠など装身具の卸

屋を幕末の頃から営む、市内でも屈指の豪商だった。だから富子は、

ちの家にびに行くにも小僧さんがついてくるというお嬢さま育ち。地

津山高女に進学したが、国内外の文学や西洋画への興味が高じていた

に、田舎の封建的な校風がそぐうわけがない。「学校をやめて画家に

たい」と家出をして、神戸のカフェで働こうとしたこともあったとい

う。

 そんな娘を見かねて、父親が東京の叔父を頼りに彼女を上京させた。富

子は柏木(北新宿1丁目)にあった精華女学校へ転学し、木下孝則の画塾

で絵を学びはじめる。するとどういうわけか、師は彼女をすに、仲間の

フランス帰りの洋画家・林倭衛に託したのだった。


「父は若い頃にアナキズムに傾倒して、16歳で大杉栄さんに出会っている

んです。人間が好きな人で、辻潤さんや芥川龍之介、室生犀星、哲学者の

出隆さんとか、いろんな方と親交がありました。画家としても、わりと早

くから作品が認められていたんですね。ところが大杉さんをモデルにした

《出獄の日のO氏》を1919年の二科展に発表すると、警視庁から撤回命

令を受けて。そんなこともあって、フランスへの憧れがいっそう募ったの

か、お金を工面して、大正10年、1921年の夏にパリへ渡っています。あ

ちらでも……いろいろやっていたみたい。大杉栄さんが、ベルリンの国際

アナキスト大会に出るために、中国人に扮装して密出国してきたんですよ。

それで一緒にモンマルトルのホテルに泊まったり。そんなふうにパリを拠

点にヨーロッパで過ごして、大正15年の5月に日本に帰ってきたんです。

で、すぐに母と出会ったわけです。父は当時32歳。ヨーロッパでの生活習

慣がしみついていたらしく、家の中で踵のある室内履きをはいていたって。

そういう異国の香りも、画家志望の若い娘だった母には、すごく魅力的に

写ったんじゃないかしら」

 憧れ強く、こうありたい、こうなりたい、と熱く香るものどおし。出会

って、パチン、と火打ち石が擦られたあとは、激しく溶け合うしかなかっ

ただろう。富子が林倭衛の弟子になるや、ふたりはすぐに結ばれた。18歳

の若さで富子は身ごもり、結婚する。それはとても短く、だからこそ長い

恋のはじまりだった。

「あまり自分のことを語る人ではなかったので、わたしもわからないとこ

ろがあるんですけれど。一度、こうと思い込んだら、テコでも動かない、

母にはそんな強情なところがあったようです」


前回を書いてから知ったのですが、今年5月に林聖子さんの著者名で『風

紋五十年』(星雲社)が上梓されていました。聖子さんへのインタビューを

軸に、風紋を取り巻く人々のよせた文章で構成された1冊。巻末におさめら

れた聖子さん自身によるエッセイは、わたしも取材前に資料として頼りにし

たもので、秋田富子や太宰治のことが詳しく書かれています。アマゾンでも

購入可能。






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白江亜古
しらえあこ
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