インタビュウ3「鵜原理想郷」

 今生日記konjyo nikki  ーインタビュウ3「鵜原理想郷」


 林倭衛(はやししずえ)が2度目の洋行から帰ってきたのは、大正15

年5月。パリの5月、といえば、muguetつまりスズランであり、五月

革命……なんて想ってしまうけれど。15年は大正の終年で、西暦にする

1926年。アナキストやマオイストが学生・労働者を主導した五月革命

1968年に起こっているから、大杉栄や林倭衛ら日本のアナキストたち

いたパリは、40年以上も前の“革命前夜”なのだった(日本と違って、

かの地にはアナキズムが根づいたのだ)。

 帰国するとすぐに林倭衛は荻窪の家を引き払って、小石川の借家へ移っ

た。そしてようやく妻の富子、生まれたばかりの聖子さんとの三人の生活

が始まったのだが、その安穏も長くは続かなかった。

 昭和5年、富子さんが風邪をこじらせ、肺浸潤に冒されて入院。退院後

は妻の転地療養を兼ねて、林倭衛はアナキスト仲間の紹介で、伊豆・静浦

知人が持つ別荘へ居を移した。

 昭和7年、静浦を離れ、小石川の以前とは違う借家へ移転。

 昭和9年、聖子さん、小石川小学校に入学。母が腎臓結核に罹り、右腎

臓摘出手術を行う。

 昭和10年、母の転地療養のため、千葉の市川へ移転。

 昭和11年、母が肋骨カリエス、脊髄カリエスに罹り、八ヶ岳南麓のサナ

トリウムに入院。父と聖子さんは新宿三光町の祖父母の家へ身を寄せる。

 

 バー風紋のソファで。向かい合って座る林聖子さんに、わたしは訊く、

というか話しかける。

「お母さま、お病気で。たまに会える感じだったんですよね。それに小学

校を、卒業までに全部で8回でしたっけ、転校して」

 聖子さんは、うふふと笑って、まるで人ごとみたいに言う。

「すごいですね。勉強する暇ないですよ。転校するたびに緊張するし、友

だちはずっと少なかったですね。母の療養のためもありましたが、父が一

カ所に落ち着いていられない人だったんです。散歩に出かけて、いいとこ

ろを見つけると、すぐに『引っ越しだ、引っ越しだ』って父が騒ぎ始める

の。すると、電報で何人かに声をかけて、手伝ってもらって、新しい家に

移るという。忙しいんですよ」

「そんなふうにあちこち移り住む家に、退院しているお母さまがいたり、

いなかったり」

「ええ。うちにいるときも、母は病気だから寝てるでしょう。寝て、本ば

かり読んでいました。もともとが読書家だから。退屈して、わたしが『読

んで』『読んで』と言うと、子どもの本ではなく、自分が読んでいる本を

声を出して読んでくれました。ツルゲーネフなんかを」

 いつもインタビュウのとき、当たり前のことを訊くのは相手にもつまら

ないのでは、と思って気がひけるのだが、ときに“当たり前”を投げかけて

みると、その人らしさが浮かびあがってくることがある。それでわたしは

慮がちに言ってみる。

「まだ小学生で、お母さまが入退院を繰り返していたから、寂しくなかっ

たかなぁ、って」

 取材相手が男なら、ウケを狙う意味でも「そりゃあ、」と返ってくると

ころ。しかし、

「うちの父も絵描きですから、旅行ばかりしていて、わたしひとりのこと

も多かったんです。そういうときは、お婆ちゃんが泊まりに来てくれたり。

小学校1、2年の頃は祖父母の家が近かったんで、しょっちゅう行ったり

来たりしてました」

 寂しい、という言葉を、聖子さんは口にしなかった。言葉になってしま

うと、彼女には遠すぎるのだと思った。



 昭和12年、母がサナトリウムから帰ってくると、一家は杉並の和田本町

へ引っ越した。この年に事件が起こった。博多で芸者をしていた高橋操と、

父との仲が発覚したのだ。聖子さんのエッセイ『いとぐるま』にこうある。


 父は十四歳も年下の妻に手をついてあやまったが、母は祖父に相談のた

め津山に戻った。父と母との間は決定的な破局を迎えようとしていた。


 林倭衛は画の頒布会などで、たびたび博多へ出かけていた。そうした中

で高橋操と関係ができていたらしい。博多では手にしたお金を使い果たし

たばかりか、多額の借金を抱えて身動きができず、伯父(富子の姉の夫)

がお金を持って迎えに行ったこともあった。また、林倭衛を駅に送りにき

た高橋操が座敷姿のまま上京して、三光町の祖父母の家を訪ねてきたりも

した。おだやかならぬ空気が徐々にふくれあがっていたのだ。


 あれは確か、昭和十三年の帝展の初日のときのことだと思う。操さんは

母の着物を着て父と出かけた。会場には別府夫妻がいた。伯母はすぐに妹

の着物に気がついた。別府の伯父も流石に激怒したが、父もまた自分のま

いた種子の結果に意地になっていた。


 そんな最中にも、林倭衛はまた住むところを変えている。津山の実家に

帰った母が不在の状態で、昭和13年秋、聖子さんは父、祖父母と南房総の

鵜原に移った。

 鵜原ーーそれは、林聖子さんの資料を読む中で、わたしがもうひとつ心

に留めていた場所だ。

 いつだったか、もうずいぶん昔のことだけれど、義弟の石川浩司や友人

たちと連れだって鵜原へ遊びに行ったことがある。いつものように、なん

の目的があるわけでもなく、ぶらぶらと歩く小旅行だった。

 エメラルド色に光る入江を臨む、小高い林の道をみんなでゆっくり歩い

ていた。ひっそりとした涼しい空気と南房総のおだやかな陽ざし。その中

に身を置くと、わたしはなんの予備知識もなくそこを訪れたものだから、

不思議に心地よい非日常の世界へ紛れこんだ気分になった。

「いいところだねぇ」

 歩きながら思わずつぶやくと、

「なにしろ、理想郷っていうぐらいだからね」

 と石川浩司。物知りな、というか、それを知っていたから、彼がみんな

を誘導したのだ。

「へえ。理想郷、なんだ」

「昔は与謝野晶子とか、作家や画家が住んでいたらしいよ」

 ふうん……と言いながら、林の斜面に立つ古びた石造りの一軒家を見て、

こういうところに住むのもいいものだろうな、と思った。そんな鵜原のこ

とがずっと忘れられず、数年前には母と妹と再訪して、入江のすぐ近くに

る鵜原館というこぢんまりとした温泉宿に泊まってもいる。



 聖子さんの口から鵜原の地名が出たのは、実はインタビュウを始めてわ

りとすぐのタイミングだった。

「一番最初の、覚えている風景は?」

 とわたしが問いかけたとき、彼女は言った。

「それはやっぱり、あの……わたし、鵜原っていうね、千葉県の外房にい

たことがあるんです。うちの父の引っ越し好きのせいで。小学校3年ぐら

いのときかな。当時の鵜原の小学校は一階建てでした。生徒がもう何人も

いないような学校。まず、その村には郵便局がないんです。駅はあるんで

すけど、単線運転の駅で。鵜原って、勝浦の先なんですが」

「はい。行ったことがあります。わたしも鵜原館に泊まったんです」

 こう申し出たのは、聖子さん一家が鵜原に移り住んだとき、最初は鵜原

に滞在したことを知っていたから。自分も泊まったことのある宿に、林

倭衛たちが暮らしていたなんて……と資料を読んで興奮したのだ。

 一家はそのあと、近くの別荘を借りて住んだ。そこには母に代わって、

身重の高橋操の姿があったという。翌年二月、この地で聖子さんの異母妹

が生まれている。


 一番最初の覚えている風景のことを、聖子さんが話す。

「夏なんか、今は海水浴で賑わうんでしょうけれど、わたしのいた頃の鵜

原は本当に田舎で寂しくてね。宿も鵜原館一軒しかなかったんです。それ

で例によって友だちがいませんから、鵜原館のメイドさんがわたしの遊び

相手だったの。鵜原館の裏にトンネルがあるんだけど、行かれましたか? 

トンネルを抜けると、大きな砂浜が広がっていて、その先に通った鵜原の

小学校がある。あのあたりはね、ちょっと口に出すのも恥ずかしい、理想

郷というところなんですよ。昔は“沖津町鵜原理想郷”で、番地がなくて

郵便物が届いた。わたし、自分の店に『風紋』という屋号をつけましたが、

それは鵜原で見た風景が心に残っているからなんです。ひとりでよく、鵜

原館の裏のトンネルを抜けて砂浜に行って。風で砂に模様ができるのを、

不思議な気持ちで見ていたんだけれど、それに名前があるとは知らなくて。

ずいぶんあとになって、鳥取の友だちに『風紋って言うんだよ』と教わっ

たんです。それと『アラビアのロレンス』。あの映画を観ていたら、波模

様の砂浜を馬で進む場面が出てきて、『あぁ、子どものときに鵜原で見て

た。あれが風紋っていうのか』と。鵜原は外房で太平洋に面していますか

ら、結構、波が荒くて風が強いんですよね」

 店の名前を『風紋』にした理由、目を通した資料のどこにも出てこない、

初めて聞く話だった。

 見つめていた風景に名前があることを、幼い彼女に誰も教えてくれなか

った。それは、彼女がいつもひとりでそれを見ていたからだ。一番最初の

風景ーーを訊いたとき、聖子さんのように、すぐに答えが返ってくる人が

まにいる。自分の対峙した風景を、からだの奧深くに染み込ませている

が。


★林聖子さんの著者名で『風紋五十年』(星雲社)が上梓されています。聖

子さんへのインタビューを軸に、風紋を取り巻く人々のよせた文章で構成さ

れた1冊。巻末におさめられた『いとぐるま』などの聖子さん自身によるエ

ッセイは、わたしも取材前に資料として頼りにしたもので、秋田富子や太宰

治のことが詳しく書かれています。アマゾンでも購入可能。



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白江亜古
しらえあこ
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