インタビュウ5「イボンヌ」

 今生日記konjyo nikki  ーインタビュウ5「イボンヌ」


 バー風紋の黒いソファに向き合って座り、インタビュウを始めて1時間が過ぎた頃だろうか。

「わたし、イボンヌさんの写真を持ってきたの」 

 聖子さんが唐突に、しかも自分からその話を切り出したので、わたしはハッとした。

 イボンヌ。彼女のことは資料の中に出てきたので知っていた。林倭衛のフランスの恋人。

 大正10年(1921年)に初めてパリへ渡ったときに、林倭衛はほかの日本人画家のモデルをしていたイボンヌと出会い、恋に落ちた。日本に帰ると彼は秋田富子と深い仲になり、富子の妊娠がわかって結婚したけれど、心はまだフランスに向いていたようだ。

 昭和3年(1928年)1月、聖子さん誕生の年に再び渡仏し、イボンヌと再会。パリのアパルトマンや、かつてセザンヌが使っていたプロヴァンスのアトリエを借りて彼女と暮らし、昭和4年3月に帰国するときには、イボンヌのお腹に赤ちゃんがいたという。


「え、イボンヌさんの写真ですか?」

 聖子さんの言葉に驚きながら、わたしはとっさにこう続けた。

「どうして、それを聖子さんが持ってるんですかねぇ」

 すると、穏やかな目をした銀髪のひとは、ちっとも悪びれずに言うのだ。

「父が旅行していて家にいなかったときに、引き出しを覗いたらネガが出てきたんで、現像しちゃったんです。戦時中、女学校のころに。そうしたら男の子と、女の人が映っていたの。ジョルジュ、という名前なんですけど、わたしよりひとつ下の異母弟は」

 差し出されたセピア色の1枚を見ると、思いの外おとなしい感じの異国の女性と、巻き毛の小さな男の子が映っていた。

 共犯のものたちーー。そんなフレーズが頭に浮かんだ。思い出したのだ。高校を早退した午後に、薄暗い友だちの家で過ごした時間のことを。父親の不倫相手が有名な女性評論家の誰それだった、とか、認知だけされている新聞記者の実の父に会いに行った、とか。わたしも父が家に帰らぬひとだったし、よくもそんな境遇の女の子ばかりが集まったものだと思うけれど、ロック雑誌を通して知り合った、有名進学校に通う年長の女子高生たちと3人で、秘密の打ち明け話になった。知ってはいけないことを知る、見てはいけないものを覗き見る、共犯の罪悪感と好奇心。見せてはいけないものを見せて、束の間の仲間をつくる、心のさびしい少女たち。わたしたちは、わるものになりたかった。



「お父さまは、そういうことを、お話になる方だったんですか」

 写真を手にして訊くと、

「なんとなく、わたしもふたりのことは知っていましたよ。うちの母から聞いたのかなぁ」

 聖子さんの口ぶりははっきりしなかった。だが、彼女には次に用意していたものがあったのだ。傍らに置いていた茶封筒から、それを取り出すと、テーブルの上にひらりとのせて話す。

「それでこれが、父がイボンヌと自分を描いた絵。だいぶ前だけれど、信濃毎日新聞に私がイボンヌのことを書きました」

 1989年の信濃毎日新聞の記事の切り抜き。林倭衛の作品『無題 パイプをくわえた男の肖像』の写真が大きく掲載され、その下に聖子さんが書いた文章が添えられている。わたしは切り抜きをテーブルの上に置いたまま上からのぞきこんで、絵を一瞥してから活字を目で追った。文章はこんな書きだしだった。


 私は、この画を見るたびに不思議ななつかしさを感じる。この気持ちは、単に若き日の父の姿がそこにあるというだけではない。父の部屋の掃除などをしているうちに、押し入れの奥にあるこの画を見つけ、「この女の人は誰だろう」「なぜこの画はいつもこんなところに置かれているのだろう」などと感じた少女時代の自分を思い出すからである。


 押し入れから聖子さんが発見した絵は、元はセザンヌが使っていたプロヴァンスのアトリエでの一場面らしい。四角いテーブルにパイプをくわえた黒い口髭の男が座り、その隣で、あごの長さに切りそろえたボブヘアのカーディガン姿の女性が本を読んでいる。壁も、彼らの着ているものも、ジンクホワイトをたくさん混ぜた灰色。全体にモノトーンの絵の中で、テーブルにころがる果物の黄色だけが色味を放ち、さびしげではあるけれど、その空間にしみじみと温かいものが流れていることが伝わってくる。

「イボンヌさん、どんなひとだったんでしょうね」

 切り抜きから顔を上げて、わたしは訊いた。

「なんか、とっても面倒見のいいひとだったようです。日本女性以上に男のひとに尽くすタイプで、顔立ちも日本人に似てた、って、父の知人でイボンヌさんに会ったことのある方がおっしゃっています。うちの父はイボンヌさんに愛されて、大事にされていた」

「幸せですよね、お父様は」

「だけどイボンヌには、すごく失礼な話でしょう」

 もちろん!と胸の中で応えて、わたしは大きくうなづいた。

 もちろん、もちろん、資料を読んで、事の次第を知ったときから思っていた。なんていう男だろう、と呆れていた。だけど娘である聖子さんが事も無げに淡々と話すのに、インタビュアが熱くなってはいけないと思って自制していたのだ。その封印が解かれた気がして、わたしは立ち入ったことを口にした。

「イボンヌさん、知っているわけでしょう? 日本に妻子があることを」

「どうなんでしょう、そのへんはわからない。仕送りだって、ねぇ、最初はしていたかもしれないけれど」

 あぁ、仕送り……。「本当に好きな人でないと描けない」画家である林倭衛の経済状態が、決してよかったとは思えない。秋田富子の病気の入院費や治療費もかかっただろうし、富子さんと別れたあともたまに生活費を渡していたようだし。二番目の妻との間にも、子どもがふたりいるし……。その上、海の向こうの遠く離れた“家族”の面倒まで、彼が見たとは思えないのだ。

 あ、それじゃあ……と気がついて、わたしは言った。

「じゃあ、お父様、そのあとはバッタリ、ですか」

「2度目に行って、そのあとはフランスへ行っていないんですよ」

「ああ……。イボンヌさん、再婚していればいいけどね」

 語尾がいきなり馴れ馴れしくなったのは、親密さを図るインタビュアの計算ではなくて、本心でそう思ったからだ。それに、イボンヌとは結婚していたわけではないから、正しくは“再婚”ではないのだけれど……話が話なだけに、会話が少しくだけたテンポになった。インタビュウ相手が同性だと、女どうしの気楽さで、場がこんなふうに井戸端会議めくことがままある。



 聖子さんも、女ともだちに耳打ちするみたいに言う。

「それが、してないの、たぶん」

 イボンヌがその後に結婚を、である。

「有島生馬さんが、ときどき向こうへいらしたときに……」

 と続いて彼女の口から出た名前は、作家の有島武郎の弟である洋画家で、林倭衛と懇意だった人物。

「有島さんがパリに来ているという情報を知って、イボンヌさんが訪ねてきたらしいんです。だから、しょっちゅう気にしていたんじゃないですか、フランスに渡ってくる日本人の動きを。イボンヌさん、ジョルジュを連れて有島さんのところにやってきて、『どうしていますか』って父のことを聞いてたみたいですよ」

「わあ、せつないですね、それ」

「でしょう?」

「お父さん、ひどいですよ」

 とうとう、わたしは訴えてしまった。

「ほっんとうに、ひどいと思います」

 聖子さんも深くうなづく。

「数々、みんなをーーー」

 という批判めいた言葉も、わたしの口から突いて出た。

「そう」

 と、ため息まじりにうなづく聖子さん。

 遠い目になって、わたしはつぶやく。

「ジョルジュ、どうしちゃったんでしょうね」

 父に一度も逢うことのなかった、海の向こうの彼の人生。想像もつかないではないか。

「だからもう……どうしているんでしょう。わたしよりひとつ下だから、82歳でしょう。亡くなってるんじゃないの? 男のひとのほうが早く亡くなるでしょう」

 あぁ、なんという話であろうか。



 と、こんなやりとりをしながらも、ずっと、わたしの胸の中でざわざわしていたのは林倭衛の身勝手さではなく、つい今しがた知った事実のほう。不在の父の引き出しからネガを見つけて、こっそり現像した女学校時代の聖子さんのことだ。

 印画紙に現れた異国の母子の肖像、それを見たときの彼女の、時間の流れがそこだけパタッと停止したような心の静けさ。遠い昔日のその瞬間を想うと、まるで自分のからだに刻み込まれた記憶みたいだ。秘め事を知ってきゅっとしたあとに、胸にひろがる時化た海の静けさーー。

 知ることは、引き受けること。知りたくて知って、引き受けたところで自分にはどうすることもできない虚空を、彼女はその後抱いて歩くことになる。わるものになる快感とひきかえに、おとなになる前に知ってしまった、少女の一生の諦念。それを伴侶に生きることが、彼女に強いられ瞬間だった気がする。



出典:『風紋五十年』(《無題ーパイプをくわえた男の肖像》」収録 林聖子著・星雲社)

 


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白江亜古
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