インタビュウ7「太宰」

 今生日記konjyo nikki  ーインタビュウ7「太宰」


「高円寺時代に母が、『今日は曇っていて雨が降りそうだから、太宰さん、見えるかもしれないわね』ってよく言っていたのが、印象に残っているんですよ。それで大抵、そういう日に太宰さんはお出かけになった」

 早い夕刻。ほんのわずかなあかりだけを灯した開店前のバー風紋は、古いビルの地階ということもあって、水底のように黒かった。その中で、やはり黒い色のワンピースを着て座っている林聖子さんは、陽のにおいが充満する草むらなんかは歩いたことがなくて、しめやかな闇の中でずっと暮らしてきたひとの印象がある。

 いまにも雨つぶが落ちてきそうな曇天の日に、高円寺にひとりで暮らす母のアパートを太宰治は訪ねて来たという。ふらりとやってきて、6畳のひと間に膝を抱えて座り込み、秋田富子が出す簡単なものをつまみながら酒を呑んで話をした。そうした姿を少女の林聖子さんは、たびたび目にしている。


 家の中で話をしているときは、両方の膝を立てて、両手を抱えるようにして話をされる。だんだん話が佳境に入ってくると、腰を軸にして身体を回し、壁の方を向くようにして話をされていた姿が目に浮かぶ。内容はよくわからなかったが、母との話は文学論が多かったようだ。議論というより、太宰さんの話をただ黙って聞いて上げていたのが、本当だったのだろう。


 共に明治42年生まれだから、太宰治も秋田富子も当時31〜32歳。ご存じのように恋愛にだらしがない男で、家庭があっても、そとで係わる女との間に子どもも作れば、心中未遂もする。そんな太宰がひとり暮らしの女のアパートを訪ねて、彼女とは文学の話をするだけの清潔な関係を続けていた。そのことは、林聖子さんにインタビュウをする際にあたった資料で知って、(太宰をよく知らない)わたしにも新鮮な驚きだった。


 そんな清らかな女が、太宰治にいたということが。

 そんな毅然とした女で、太宰治みたいな男を相手にいられたことに。



 からだも、こころも、弱まっていて、ましてや孤独ならば。たとえ頼りがいのない細い木でも、つい、もたれかかりたくなるのが人間というものではないか。

 会いにくるのは、求めているからだろうし。曇天におしつぶされそうな日に、「今日あたりみえるかもしれないわね」と予言するのは、心のどこかで待っているからだろうし。

 でも、ふたりはからだを触れることはしなかった。

 太宰治を可愛いと、秋田富子は思わなかったのだな、とわたしは想ってみる。可愛い、とチラとでも思えば触りたくなるし、いずれちょっとした機会があれば触ってしまうから。だから太宰治はきっと、秋田富子にとって可愛い男ではなかったのだ(余談だけど“可愛い”って“愛が可”なのですね)。

 一番気になるところを、林聖子さんはエッセイにこんなふうに書いている。


 それにしても、あのころの太宰さんは、なぜ、あのように頻繁に、母の許を訪ねてきていたのであろうか。子どものころのことで私にはよくわからないが、もちろん色恋であったはずはない。あれほどひどい仕打ちをされながら、母は最後まで父を愛していたし、とても色恋などできる人ではなかった。ただ無類の淋しがりやで、父が写生旅行に出掛けたときなど、ほとんど毎日のように手紙を書いていた人なので、あのころの母にとって太宰さんの訪れが、大きな心の支えになっていたことは確かだと思う。


 裏切られて別れた夫を、秋田富子はずっと愛していたという。だけど、それはもう、報われない愛なのだ。報われない愛をずっと抱えて暮らす日々の孤独は、いったいどれほどのものだろう。


 太宰さんもまた、そんな母に対して、旧家のはぐれ者同士といった共感があり、なにか鬱屈したときなど、母の許をたずねて、ただボンヤリしていることで、心の傷をいやしていたのかもしれない。


 こう記したあとで、聖子さんはエッセイの文中に太宰の『津軽』を引用する。そして、太宰が故郷で育ての母を訪ねて、“不思議な安堵感”を覚えたと書くことから、彼女は考える。


 このように太宰さんの気持ちの中には、女の中にある母性(無償の愛)というものに対する押え難いあこがれが潜んでいたように思う。ひょっとすると、当時の母の中に、そうしたものを見たのかもしれない。


 報われない愛を抱えて生きている女と、無償の愛にあこがれる男。

 女がひとりぼっちでも、男が多くの異性と深い仲にあっても、孤独の大きさ深さには変わりがない。今更ながら、そんなことを思って。では、ひとの手に入るものって、いったい何なのだろう、手に入れたものが確かに存在するって、どうして思えるのだろう、とまわりくどいことを考えて。いやいや、そんなことはどうでもいいのだと、頭を振って中身をからっぽにする。考えることと生きることは、違うレールの上にあるとわたしは思っている。


 孤独でいても、秋田富子には太宰治という男ともだちがいた。

 太宰治には秋田富子という、「唯一のひと」がいた。

 その事実に、なぜだか強く長く惹かれるわたしがいる。

 それは秋田富子のようなひとに対するあこがれが、自分の中にあるせいだ。

 孤独は、そんなものではすくわれないと知るひと。知って、耐えるひと。がまんができるひと。手をのばさずに、そこにあるものを“見つめるだけの人”。

 そう。書いていてようやくわかったけれど、秋田富子というひとは、堪え性のかけらもない自分と真逆なひと。その慎み深さに、人間の美しさに、わたしはずっとあこがれている。自分が持ち得ないものだから、興味深く、彼女のことをのぞきこんでいる。


出典:『風紋五十年』(「いとぐるま」収録) 林聖子著・星雲社







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