IN*29「会えない人」-5

  だめだ、全部やりなおし。



        西荻イン&アウト IN*29

    会えない人 -5


 2週間というのはアッという間ですね。みなさんはいかがお過ごしでしたか。アッという間に過ぎていった日々の中で、わたしは自分の生きようとするスタンスがかなり変わってしまった2週間でした。といっても、他人から見たら、その変化なんて取るに足らないことかもしれない。でも人間というのはそんなふうに、自分の中で小さなマイナーチェンジを重ねていって、それで満足して、やがて死ぬるのかもしれない。満足できるかな。←問題はこれだ。


 〈会えない人〉と名付けた、Oという人物についてのこの文章は、行き当たりばったりというか、そのときどきの自分の心の動き加減のままに書き進めようとしていました。だからOについて考える前に、そのときどきの“まくら”文章を書いていた。一週すっとばした前回から2週間がたったわけだけれど、その間に実はわたしは長い枕を2つ3つ書いている。けど、「じゃ、書こうかな」とパソコン起ち上げて、書きかけの枕を読み返してみると、そのときどきで「あ、違う」と思ってしまうわけです。「こんなこと話したいんじゃない」って。で、違う枕を書く。放置する。パソコン起ち上げて読み返す。「あ、違う」と思う。その繰り返し。2週間はアッという間なのだ。

 と書いたところでウソつきました。読み返して「あ、違う」と思うんじゃない。読む前からわかっている。お風呂入ってるときとか、ゴミ出ししているときとかに「この間書いたことはなんの意味もなさないな」とか思ったりしてるから。


 文章を書く、って、わたしの場合、自分の中のごちゃごちゃを整理することです。書いてみないと、文字にしてみないと、自分が何を考えているのか、さっぱりわからない。

 読書家なのに、なんで文章書けないのかな、あのひと。と思うことがよくある。普通さ、本読むのが好きなら、文章は自然に書けるだろう、って思う。それでも書けないって、本当は本が読めていないんじゃなかろうか、とか失礼なことを考える。無駄読みじゃないの、とか性格悪いことを考える。でもきっとそれは違う。文章書けないひとって、文章書く必要がないから書けないんだ。文章にしなくても、わかってしまっている。だから文章を書く必要がない。

 文章にしなくても、わかってしまっている。

 音楽にしなくても、わかってしまっている。

 絵にしなくても、わかってしまっている。

 映像にしなくても、わかってしまっている。

 ダンスにしなくても、わかってしまっている。

 なら、あえてそれをやるなよ、って思うけどね。


 ああ、何をダラダラと書いているのだ、わたしは。実のところ、今日は思う存分に考えなしで書こうとしている。書かせてもらおうとしている。推敲もしないかもね。たまにはいいっしょ。言いっぱなし(いや、でも一回ぐらいは読み返すであろうA型)。


                ■■■


 男は男が好きだよね。と、唐突にOの話に入る。

 わたしがそれに気づいたのは、だいぶん早かった。見ていればわかる。いいな、と思っている男の子は、あの男に心底憧れていた。仲の良かった男の子も、男友達と話すときにとくべつ嬉しそうな顔をした。男の子が男の子と並んで歩いているとき、ふたりは網の上の餅みたいにくっついて見える。ベトちゃんドクちゃんみたいに片端がまじわって見える。入り込んじゃって、おなじものになっている。あるいは、入り込みたくて、わさわさとしている心を隠そうともしない。

 わたしは彼と彼に嫉妬した。10代の頃から。できることなら次の人生では、男に生まれて男と遊び、男に生まれて男に憧れたいと思った。


 Oもそうだったみたい。ガセネタというバンドを一緒にやっていた、ギターを弾く男のことが心底好きで、心底憧れていて、できるなら彼になりたいと思っていたみたい。

 Oの書いた『ガセネタの荒野』の最初のほうに出てくる文章。


〈こうして、僕は浜野と出会った。できれば、彼の名前を覚えておいて欲しい。この天啓のような名前。一度しか言わない。彼は純という名前だった〉


 これ読んだとき、わっ、はずかし、とわたしは思った。こんなにセキララに屈託なく愛の告白をしてよいものなのか、ひとは自著の中で。しかもこれ書いたとき、Oはまだ自分が死ぬことなど予感もしていなかったはずなのだ。こんなこと、できれば自分が死んだあとにみんなに読んで欲しいよね。当の浜野純はOの書いたこの本、読んだのかしら。


 浜野純の弾くギターを、Oが初めて聴いたときの記述。


〈フル・アップにしたアンプから、気違いじみたスピードで、引き裂くような音が迸った。血が凍りついた。それは爆発だった。瞬時にして、ありとあらゆる音が四方に飛び散る。音のカオス。だが、どんな混濁もなく。総ての音が、一粒一粒その存在を主張しながら走り過ぎた。空気を切り裂く、澄み切った音の刃。僕は膝が震えるのを止められなかった。ざわついた中庭は、音もなく静まり帰った。いや、僕にはそう見えた〉

〈彼は緩んだ日常に、そのギターで、突然寒々しい裂け目を入れて見せた。(中略)でも、その時既に僕は、その裂け目に落ち込んでしまっていたのだ。僕は引き返せなくなってしまった〉


 ああ、書き写していて、なんか胸が苦しくなってきた。あまりのセキララに。あたしはうそつきだな、と思う。あたしだったら、自分たちの記録であっても、もうちょっと嘘でコーティングするな。と「な」を書いたところで、ふと思う。Oは“わかっていた”のだろうか。『ガセネタの荒野』を書く前に、自分が“そういうこと”を書くことを。あ、ここ聞くポイント。と、仕事のインタビューに出掛ける前に、資料を読み込んで相手について勉強をしているときなら思うわけです。


「ああいうことを書くって、書く前にわかっていたんですか」

 わたしはそうOに尋ねる。

「ああいうことって? 記録は残したいと思いましたよ」

 とOは怪訝な顔をしてみせるだろうか。

「記録であるのはもちろんですけど、ご自分があそこまでご自分の気持ちを文章にしてしまうことが、わかっていたのかなあ、と思って」

 そう尋ねながら、わたしはOの表情を見ている。怒り出しそうなら、言い方を少し変えたり、言葉を付け足したりして、彼が安心して話をできそうな巣作りをする。

「わたしはなんか、読んでてせつなくなってしまったんです。あまりに剥き出しというか、まるで自分のことのようで。Oさんは書いていてつらくなかったですか」

 そんなふうに訊いたら、彼はパリで取り憑かれたように文字を書き連ねた時間のことを思い出して、話し言葉にしてくれるだろうか。

 わからない。何しろもう、会えない人なのだから。


 Oは浜野純に「あの、ベースを弾いてくれませんか」と誘われて、初めてベースという楽器を手にした。ベースを猛練習して、ギターの浜野純、ボーカルの山崎春美の三人で始めたのが、ガセネタという特異なバンドだった。

 彼らのやっていた音楽のことはさておいて話を進める。

 音楽に関しても文学に関しても哲学に関しても、浜野純という人物の持つ豊富な知識と鋭い感性に、山崎春美もOも太刀打ちできず、ことにOはコンプレックスのようなものを抱いていたようだ。

〈そんな風に適当に口裏を合わせるのが得意な僕ではあったが、それでも時折、浜野は僕に向かって、その端正な顔に、やや左側に偏った薄笑いを浮かべては、「君には分からないよ」と言うことがあった。そんな時、僕はいつも、高校の数学で零点をとった時のような気分になるのだった〉

 だけど、こんなふうに書くOにしても山崎春美にしても、元々、インテリ坊ちゃんなのだ。そこにさらに(実体験を伴わぬ)くそ生意気な知識が山と積み重なり、彼らはまったく鼻持ちのならぬ男の子たちだった。

〈僕らは、自分の音楽について語り合ったことは一切無かったが、他人の音楽についても、殆ど語り合わなかった。何か語る時も、その九〇パーセントは、ゴミ、という一言で片づいた〉

 世の中のおおよそのことが、彼らにとってはくだらなかった。馬鹿にしていた。こーゆう感覚って、どのぐらいのひとが理解できるのかな。頭のいいごく一部の男の子にしかわからないんじゃないかな。女はどんなに頭がよくても、たいていどっかしらで自分はダメだと思っている。ダメだという意識があるから、他者を馬鹿にできない。それに、頭がいいことが女の美徳ではないものね。頭がよくて知識をたくさん持っている女なんて、ありがたがられないもんな。

 そういえば昔の話だけれど、女の編集者とわたしが「自分のことが嫌いだから」云々という話をしていたら、同席の男のカメラマンが驚いたように言った。「そういうのって、男はまるで思わないからね。男は自分が嫌いだなんて思ったら、生きていけないんだから」。へえ、そうなんだー。と驚くのはこっちだ。生きていけないんだー。弱っ。男は基本的に誰もが自分を美男だと思っている、と橋本治が『美男への道』という本に書いていたことも合わせて思い出す。男っていうのは誰もが自分のことが好きで、自分は(実は)美男で、だから好かれ(モテ)てあたりまえ、と思っているらしいのよ。そう、どこかで思っていないと生き進んでいけない生き物らしい。


 Oが死んだのは、どこかでそう思っていなかったからだ、なんていう乱暴な話のオチにはしない。

 ガセネタをやっていくうちにOに彼女ができた。ピアニストで、“火地風水”というバンドをやっていた女の子。「浜野くんて素敵よね」みたいなことを彼女が言うから、Oは最初はてっきり浜野純のことを彼女が好きなのだと思っていた(自分と同じように)。ところが違った。彼女はOに気があったのだ。

 一方、山崎春美は、その四角張って目の吊り上がった容貌からは計り知れないほど、女によくモテたという。そしていつしか、篠崎順子という髪の長い美しい女の子を連れて歩くようになった。ガセネタのあとに山崎春美がやっていたタコというバンドで、わたしは彼らを見たことがある。

 ステージに上がると、細くて色の白いロリータ順子こと篠崎順子がワンピース姿でマイクスタンドの前に立ち、「みなさんに愛されたいと思っている、タコです」と言って演奏が始まった。演奏……というか、山崎春美の痲痺が始まった。山崎春美はヤク中で、篠崎順子は見るからに精神を病んでいた。今思うと、その演奏のギターをひいていたのがOだったようなのだけれど。


 彼らのことを知らず、関心も持たず、『ガセネタの荒野』を読もうというひともきっとこれを読んでいるひとには少ないだろうから、彼らの最後のことを書いてしまおう。

 山崎春美は篠崎順子と二人でいることが多くなった。やがてそこに浜野純が加わり、三人になった。そして浜野純と篠崎順子の二人になった。

〈僕は浜野が女性に魅かれたという事実を信じたくなかった。あの、性的なもの、女性的なものを異常なまでに遠ざけた浜野が、あの“火地風水”を、どうしても彼女らと言えなかった浜野が、女性と恋に落ちることが、信じられなかった。いや、許せなかった。僕は、浜野が、そのことで、彼自身今まで言って来たこと、やって来たことを、総て裏切ったと思った。彼は、彼の倫理を踏みにじったと思った。僕が、自分の中で作り上げて来た像が音を立てて崩れた〉

 こんなことを書くOはなんて純粋なひとなのだろう。まるで思春期の女の子みたいだ。透き通ったピュアなもの、純度が高くて、だからギリギリのところにあるものを、彼はひとの中にも求めていたのだ。自分自身にも求めていたのだ。子どもなのだ。子どもでいたいと願うこども。でもそれは決して、たちの悪い人間ではない。

 鼻持ちならぬ、自意識過剰のインテリ集団のガセネタの中でも、たちの悪いのは唯一、山崎春美だったんじゃないかと思う。彼が編集者だったHEAVENなんかを読んでいた頃から、わたしは山崎春美という人間に言いしれぬ嫌悪感を抱いていた。屈折度がハンパないというか。屈折しているのはいいけれど、それでひとをも傷つけるタイプ。巻き込むのだ。


〈後で山崎は話してくれた。「僕らはぎりぎりまで追い詰められて、最後に、もう三人で住もうと思ったんだよ。でも、駄目だった。だって、浜野は順子を愛していて、順子は浜野よりも僕の方を愛していて、そして、僕は順子より浜野を愛していたんだから。」「だから、この悪循環を断ち切る為に、順子を奪って逃げるしかなかった。そうじゃなかったら、僕ら三人とも死んでいたよ。」〉

〈その後、山崎は篠崎さんを捨てた。そう、浜野から奪い返したあの篠崎さんを〉


 さらにその後、山崎春美はクスリを抜くために病院に入った。Oはピアニストの婚約者と別れた。篠崎順子は死んだ。浜野純のその後については『ガセネタの荒野』に何も書かれていない。

 Oは総てにふたをするためにフランスへ留学した。そしてかの地で『ガセネタの荒野』を書き、帰国後は西荻の風呂なしのアパートに住んで音楽評論をしたり、大学の教師をしたり、たまにバンド活動もしていたらしい。そして2009年11月に病死した。偏った食生活のせいでからだを壊した、と彼を知るひとびとはブログに書いている。肉も魚も食べず、賞味期限切れの甘いものばかり食べて太り、内臓を痛めつけて死んだ。アルコールを摂りすぎて死ぬことは、緩慢な自殺だとわたしは思っているけれど。甘いものの食べ過ぎで死ぬのも、はたして緩慢な自殺だろうか?


 今、机の上にある白い表紙の『ガセネタの荒野』(月曜社)には紫色の付箋が1枚だけ貼ってある。そこを開いてみよう。

〈「削ぎ落とすんだよ。削ぎ落として、削ぎ落として、残った骨だけがぽおっと光っていればそれでいいんだ。」

 嘘じゃない。ある日、お茶の水の駅で、僕の隣に寝巻を着て座り込んだ十六歳か十七歳の少年が、僕にこの言葉を言ったのだ。覚えていて欲しい。これが僕の本当に書きたかったことだ。これだけが僕の書くべきことだった。これさえ本当に解ってくれれば、僕の文章は、ここから先、読んで貰わなくても構わない〉


                ■■■


 ここまで書いてきて、ひとつ思った。Oがそこまで浜野純にひかれたのは、浜野純の感性が鋭かったせいでも、知識が豊富で太刀打ちできなかったせいでもない。浜野純の弾くギターの音がすごかったからだ。そのことだけを見つめれば、Oは浜野に対してコンプレックスも失望の気持ちも、持たずにすんだはずなのだ。浜野のギターはすごい。その事実だけを受け留めていればいいはずなのだ。

 でも、哀しいかな、音はその場かぎりで消えてしまう。とらえられない。自分のものにできない。ひとは永遠に、音だけを愛することができない。消えてしまうものを愛することは難しい。だからOがしていたのは、哀しい片思いだった。狂おしいまでの片思い。浜野純というひとのかたちを、その対象と勘違いするほどの。

 とらえられないものが欲しくて、近づきたくて、じりじりと胸を焦がす。そのことを憧れという。

                ■■■


 わたしはつい最近、マイルス・デイビスの『Kind of Blue』というアルバムを聴いた。ジャズの超名盤らしいけど、(たぶん)初めて聴いた。それははじまりからおわりまで、感情などという軽々しいものを排除した、良質な調べに満ちている。確信的な間合いと強弱。演奏者どうしの呼吸の探り合い。その結果紡ぎ出される、圧縮された時間のかたまりのような音。マイルス・デイビスのサックスもさることながら、このアルバムの中でひとりだけ有機的な音を出しているように思った、ピアノが気になった。彼(たぶん彼だろう)は唯一、こちらに尋ねながら演奏をしている。こちら、とは共演の演奏者であり、その場の空気であり、森羅万象であり、聴き手のわたしのことだ。こちらに尋ねながら、同時に話しかけてくる。すごいピアノ。肌をなでられるような感覚。心の中の肌だけれど。

 CDのブックレットを見た。Bill Evansという、こちらも名前だけは昔から知っている偉大なジャズピアニストだった。気になって調べた。白人で、超がつくジャンキーだったみたい。写真を見ると、繊細そうな顔をしている。このひともきっと、やさしいひとだったのだろうと思った。もちろんクスリで死んでいる。

 でもこんなふうに音が残るなら。残って、放射能に降られた極東の島国で、新しいひとに話しかけることができるなら。

 だから思ったのだ。Oは大事なことを知らずに死んでしまった。自分は浜野純のギターの音にあれほどひかれたのだ。余計なものを削ぎ落として、そのことだけを思えば、彼の憧れはぼうっと青い光のままですんだのに。音はひとを通り抜けて、永遠の憧憬として自分のものになるのに。


                 ■■■


 言葉も音と同じかもしれない。先日、ある人が死んだ。わたしとあまり年の変わらぬ女性。葬儀に参列した仲の良い編集者が、「驚いた」とお葬式のあとでメールをくれた。神父さまがスピーチの中で、わたしたちの作った雑誌のインタビューページの文章を朗々と読んだのだ、と。それは約30年間、西半球の最貧国であるハイチに暮らす当時83歳の須藤昭子シスターの記事だった。シスターが2010年に一時帰国しているときにハイチ大地震が起こり、帰るに帰れぬ状況の中で行われた貴重なインタビューだ。

「昨日、ご遺体を訪ねにご両親のところに行かなかったら、この記事に私は出会うことはなかったでしょう。この出会いに、感謝します」、そう言って神父さまが長々と読み上げたのは、記事の最後をしめくくる文章だった。


 けれどそうして、病気を治したり、新しい病棟を建てたりして一歩ずつ前進しても、地震が来れば一瞬にして多くのものが壊れ、また振り出しに戻ってしまう。神さまを恨んだりは……と思わず聞きかけると、須藤さんは「してないですよ」、即答だった。

「日本の新聞で読んだのだけれど、ハイチの地震で教会がつぶれて、一週間後に助け出された女性がいるんです。そのときに歌をうたっていたんですって。賛美歌を。諦めないで、助けられると信じて。祈りながら待っていたんですね。だから、建物を作るとか、人のために尽くすとか、そういうことではないんです。ただ、そこにいること。それだけでいい。そこにいて、みんなと一緒に笑い、泣き、怒り、諦めないで待つーー。人間って、お互いに助け合って、お互いが尊敬し合って、愛し合って生きていくんですよね。結局のところ、私にできるのもそれしかないんです」

 この記事が読者の目にとまる頃、須藤さんはハイチに戻り、彼女の帰りを待っていた人たちと暮らしているはずだ。一緒にがれきを片づけながら、あるいはピーナッツの殻を炭にしながら、歌をうたっているに違いない。         講談社『グラツィア』連載〈ニッポンビューティ第67回より〉



 須藤シスターに会ったのは確か2010年の3月。まだ肌寒い頃だった。長い時間たっぷりと話を聞かせていただいて、練馬区にある修道女会の建物を出るときには、もうすっかり暗くなっていた。緑豊かな武蔵野の地を、ほんのわずかに春の気配を含んだ、それでも冷たい風が吹いていた。シスターは小さなからだに、あちこちほつれのある薄いカーディガンをはおって、いつまでもわたしたちを見送ってくれた。そうだ、インタビューを始める前に「こういう雑誌の連載でして」と掲載誌を開いて見せると、「いいお仕事をされているのね」としみじみとおっしゃった。そちらこそ!と胸の中で大きな声で言い返したけれど。その一年後の3月に、わたしたちの国でも大地震が起こった。お葬式でスピーチをした神父さまの心の中にはもちろん、そのこともあって、この記事を読んでくださったのだと思う。

 よかった、と編集者が送ってくれたメールを読んで思った。消えてなくなってしまう雑誌の文章も、こんなふうにどこかでかすかに残るのだ。歌のように音のように。

 会えなかった人、Oに、もしも会ったら言ってしまうかもしれない。だから生き続けることには意味がある、って。                  出典:『ガセネタの荒野』大里俊晴/月曜社




 長らくご愛読いただきました「西荻IN&OUT」は今回を持って終了します。長駄文にお付き合いくださって、本当にありがとうございました。

 来週からは違う形で、またお目にかかることになります。★白江亜古



 


コメント
僕もついさっきこの本を読みました。
ガセネタというバンドはどこに行って、どこに戻ったのか、まだガセネタの曲は「生きて」いるのか、大里さんはなぜ、自ら混沌の中に進んでいったのか?、浜野さんは、山崎さんはどこにどうやって行こうとしていたのかなどの問いかけが頭の中を覆って、考えるとめまいがします。 音は永遠に残らないから、大里さんは浜野さんの全てを知りたい、いや同化したいという欲を感じました。
長々とかいてすいません。
  • kuretanma
  • 2013/01/06 9:47 PM
コメントを残してくださってありがとうございます。久しぶりに、自分の書いたこの文章を読み返しました。読み返して、いろいろなことを思いました。ガセネタというバンドの音楽も、『ガセネタの荒野』という本も、そしてわたしの書いたこの拙い文章も、永遠に残らないけれど、こうして残っているんですよね。それで、こうして話しかけてくれるひとがいる。ナゾがナゾのまま、答えが出ないまま。それでいいんだろうな、っていうか、それしかないんだろうな、この地上に確かなことって。という気が今はしています。だから、残ると残らざるに係わらず、生きていることは意味がある、ってあらためて思います。
  • 白江亜古
  • 2013/01/08 11:02 AM
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